【1】私が死にかけたときのリアルな体験談

2015年、あけましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ギリギリになってしまい申し訳ないのですが、
1月17日開始の6回セミナーについての
告知と販売をいたします。

今回のセミナーは、
「音声受講コース」もありますので、

北海道や沖縄、海外などに在住の方にも、
ほぼ同時進行で受講していただけます!

「通えないから私には関係ないわ」

なんてことは、なくなりました。

また、この告知では、

私がかつて書いたどの本よりも、
どのブログ記事よりも濃い、
これまで伝えてきたことの結晶
を書きました。

あなたがセミナーに出る、出ない、にかかわらず、

この記事を最初から、じっくりとお読みいただけると、
きっと、何か素晴らしいものを
受け取っていただけることと思っております。

※また、この告知は長いので、1~3に分割してあります。

セミナーとは関係ないように思われるかもしれませんが、

じつはとても関係のあることなので、

まずは、私が軽く死にかけた話から、いたします。

私の手術は、大病院の3つの科が連携して
厳戒態勢で行わなければならないような、
命がけのものだったので、
術後は救命救急センターに移送されることになっていました。

手術が終わって、救命センターの個室に入ると、
母と夫が、横になっている私を見下ろしていて、

「無事に終わったよ。状態も安定しているって。よかった」

と、ニコニコしていました。

私は麻酔のせいか、とても眠く、話すのが面倒だったので、
おそらく5分くらいで、不機嫌に二人を帰しました。

目をつむって、うとうとしていると、周りの物音が聞こえてきます。

「高橋さん!高橋さん!」

と看護師が大声で呼び、

バンバン、バンバン!と叩いているような音の後で、

「意識がありません!」

と報告する声。

私はそれを聞いて、怖く感じながら、

叩いても気がつかないって、どんな状況なのだろう、

事故にあった人?

術後の経過がよくない人?

病気で死ぬ直前?

などと想像をめぐらし、

「ここは、こういう『生きる死ぬ』の場所なんだよなあ。

私のような、とりあえず問題のない人間は場違いだなあ。

ちょっと申し訳ないなあ」

と、ぼんやり感じていました。

眠っていると、今度は、

ナースセンターにあるモニター機器
(患者の血圧や心拍数、心電図などを遠隔で監視する機器)
の警告音がうるさくて目が覚めました。

看護師がバタバタと走り回り、
どこかに電話をかけまくり、慌てている様子です。

「また、大変な人がいるんだなあ。
それに引きかえ、私は安定しているけどね」

などと、朦朧とした意識の中で、
ひそかに優越感を感じながら、
看護師たちが大声で話し合っている声を
聞くともなく聞いていると、

なんと、私の名前が連呼されていました。

鳴りつづける警告音の発信源は私で、

看護師が電話で興奮しながら報告している話によると、

私の血圧が突然、危険な領域まで下がったようなのです。

え?と驚き、自分の体に意識を向けてみると、

両手足、頭と顔が、

氷水をかけられたように冷たく、しびれていました。

「ご家族は!?」

「帰られました!」

という、看護師たちの緊迫した会話も聞こえてきました。

はい、家族は私がすぐに帰しましたからね・・・。

・・・このまま血圧が下がりつづけたら、
眠るように意識がなくなって、そのまま死んじゃうんじゃないの?

・・・・・・私、

・・・・・・死ぬの?

じたばたしようにも、

術直後で朦朧、管だらけ、傷口がふさがっていない、
だから寝たまま動けない、何もできない・・・。

このときの気持ちは、味わった人にしかわからないと思います。

泣くとか、慌てるとか、そういう感情ではないのです。

今まで、生きていて苦しくて、つらくて、
すごく、もがき苦しんできたけれど、

それって、余裕があるから、できることだったんだ・・・

と、一瞬で悟りました。

手足が冷たい、頭も顔も、冷たい、しびれる。

意識もモヤーーッと、遠くなってきている。

私、このまま、死ぬの・・・?

これを実感したとき、筆舌に尽くしがたいほどの、

本当に、いやぁぁぁぁ~~~~な気持ちになりました。

静かに、ゆーっくり、泥を塗りたくられているような・・・。

渋くて、地味で、とにかく、心から、いやなのです。

怖いとか、悲しいとかつらい、苦しい、
そんな華のある感覚ではありません。

本当に、ひたすら、不快なのです。

怖いも、悲しいも、
すべて、死からは少し離れているからこそ、
これからもずっと生きるという前提だからこそ、
余裕をもって、じーっくり♪味わえる♪のだ
、ということがわかりました。

しばらくして名前を呼ばれ、目を覚ますと、

術後、数時間経っていて(おそらく)夜にもかかわらず、

戻ってきた執刀医が、ベッドのそばにある椅子に座っていました。

そして、

「ご家族が帰られたので、
あなたご本人に、救命処置に同意していただきたいのです」

と言いました。

そして、

「同意書を読めますか?大変でしょうから私が音読します」

と言うので、意地で

「読めます」

と答え、

同意書を手にとって読みました。

手に力が入らず、字がモヤモヤと揺れて、かすんでいました。

でも、がんばらないと負けだ、死んでしまう、と思い、

「危険もあるということですよね?」

「同意します」

などと、

言葉を絞り出して会話し、
精一杯、しっかりと振る舞おうとしました。

執刀医が私の代わりに署名をし・・・

あとは、記憶がありません。

目が覚めると、相変わらず警告音は鳴りつづけていましたが、
一番やばい状態は脱出したようでした。

あとから聞いた話では、
おそらく多量の昇圧剤を点滴で入れることで
なんとかなったようです。

以上のように、
まだ「死にかける」の一歩手前だったので、
「軽く死にかけた」という表現を使っています。

それから、救命救急センターで、

管だらけで寝たきり、

昼夜もなく、トイレも行かず、いっさいの飲食もせず、

非現実的な数日を過ごし、

無事、一般病棟に戻りました。

「多分、生還できたんだ」

と実感したとき、

明らかに自分が、手術前とは違っていることに気づきました。


余計なモヤモヤがない!

なんでもできる!

ウォオオオオオオオーーーー!!!

と、力がみなぎる感覚でした。

妙に右脳が目覚め、勘がよくなっていました。

理屈の部分をすっ飛ばして、答えとして図やイメージが浮かぶのです。

そのときに、

「なんて自分は、
人生の余計なところに、エネルギーを使っていたのだろう。

大事な幹の部分は、こんなにシンプルなのに。

なんて、それ以外のモヤモヤに、とらわれていたのだろう」

と、強く強く、実感したのです。

一般病棟のベッドから編集者に出したメールを
確認してみたところ、

「自分を包んでいた卵の殻のようなものが
1枚パリーンと割れ落ちたようで、

濁っていた意識が目覚めたような、
ものすごく判断力があるような、

意識も景色もクリアで、
軽く生まれ変わったような感覚があります」

とあります。

<a href="http://ameblo best weight loss tablets.jp/saname/entry-11974567582.html” target=”_blank”>【2】「相対」から「絶対」へ につづく・・・